ヴォルガ文化圏とその表象をめぐる総合的研究 : フィールドワーク

科学研究費補助金基盤研究(A) ヴォルガ文化圏とその表象をめぐる総合的研究

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ロシア知らずのロシア乙類図像の旅

武田雅哉
(北海道大学)


 モスクワへの空路は、なかなかに長い。ヴォルガに行くのならと、とりあえずカバンに突っ込んでおいた、レーピンの『ヴォルガの舟ひき』を読了しておく。文庫としては厚いほうだが、睡眠時間を入れても、読了するのにじゅうぶんであった。われもまた、ヴォルガに銀時計を沈めるべきか。
 空港の入国審査で、たいへんな時間がかかった。ぼくが中国に留学した頃、つまり30年前、文革が終了した頃の中国みたいだなあ。いや、中国よりもおそいのでは……? というこの正直な疑惑は、その時、ロシア研究者たちの前では、無礼な発言かもしれないと思い、ごくんと腹に呑み込んだ。以下は、たった10日間だけ、素人が表面を眺めただけの、印象である。筆者の目的は、とりあえず「乙な図像」を見つけて、歓喜することのみであった。

 モスクワからウラジーミルへのバスの窓から見えるもので、よくわからないものがあれば、すぐにメモを取った。まず、バスの運転席の外壁に描かれた聖ゲオルギウスの龍退治が目についた。まだ同行者たちの顔と名前もよく把握できていなかったが、無知の一念、すぐ横に座っておられた女性(これが熊野谷葉子さんであった。以下、熊さんと略称す)にたずねると、すぐに「モスクワ市の紋章です」と教えてくれた。民間文学がご専門ということで、さらにいろいろな物語を教えてくれた。それで調子に乗って、その後、わからないことは、なんでもかんでも聞いてしまった。熊さんはじめ、同行のロシア研究者たちには、買い物ひとつでも助けられ、教えられることばかりであった。
 着いた土地で、まず第一になすべきことは、地図の購入である。そこでまずウラジーミルの地図を購入。なかなかセンスのいい地図であった。
 ホテル「ザリャー」の部屋も、ぼくの若き留学時代を想起させ、感涙に溺れるのに、じゅうぶんなものであった。同じ階の熊さんの部屋のドアが開かないというので、その鍵を見てみたら、それはそれは「鍵のイコン」「鍵の中の鍵」とも言えるような、要するに、絵に描いたような「鍵」なのであった。いってみれば、ぼくでも、五分もあれば、木を削って偽造できそうな「鍵」。

 翌日の午前中は、自由行動を申請。歩いて旧市街へ。アレクサンドル・ネフスキー像の前で、軍人やら子供やらが集まって、これからなにやら儀式が行なわれる様子。軍人と言っても、子供っぽいのばかり。ただし、美少女多し。
 10時の鐘が鳴り響いたので、歴史博物館へ。60ルーブル。各展示室には太めのおばちゃんがでーんと待機し、見て回るべき正しい順路やら何やらを、こと細かに指示してくれているらしいのだが、なにぶんワカラナイ。おそらく異星人にだって伝わるような身振りで「ワカラナイ」と伝えているのに、それでも話しかけてくる。時間もないので早々に引き上げたが、瀟洒な博物館で、なかなかよかった。展示の説明はロシア語のみ。近代までのウラジーミルの歴史を展示している。バルチック艦隊の日本海海戦の図もあり。当地の出土品らしい、錆びついた古代の鍵が展示してあるのを目にしたが、ホテル「ザリャー」のそれと、ウリ二つであったのには、肝をつぶした。売店にて『ウラジーミル』『スズダリ』紹介本の英語版を買い求める。急ぎ足にて、ホテルに舞い戻る。
 スズダリへ。車中における高橋沙奈美さんの通訳とガイドはすばらしい! こちらは農協さんになった気分である。

 到着するや、修道院の家庭料理風食堂にて昼食。なかなかうまい! チキンのつぼ焼きスープ。もうひとつ野菜スープ。ワッフルのようなもの。コーヒーなど。全部で210ルーブル。ぼくはボーッと座っているだけ。すべて中村唯史先生が注文してくださった。

 木造建築群の露店では、三頭龍の形をしたオカリナが売っていた。「キングギドラ」タイプである。ちょっと高いので買えなかったが、望月隊長に「こういうのを研究しますから、予算でバンバン買ってくださいよ」と提案すると、「はっはっは」と笑われた。怪獣研究にうつつを抜かせるほど、財布のヒモはゆるくはないのだよ、ということらしい。
 木造農家のなかで、熊さんが、木切れでできた謎の造形物を指さして、「これ、なんだかわかりますか?」とふっかけてきた。「さて、わかりません」と答えると、「むかしの明かり」なのだという。油や蝋燭以前のあかり。木切れの先に火をともしていたのである。太古ではない、ほんの少しだけさかのぼった時代に生きていた人間たちの夜の世界は、もはやぼくらには想像もつかないものとなっている。小さな明かりの中で語られた物語や歌は、いったいどれほど滋味深いものであったろう。
 熊さんの見立てで、『アリョーヌシカとイワーヌシカ』という姉弟の物語をモチーフにしたマトリョーシカを購入。さすが熊さん! 先達はあらまほしき事なり、である。この獲物にはしゃいでいるうちに、みんなとはぐれる。しかし、高橋さんとの絶妙な携帯メール通信により、無事に合流することを得たのであった。
 夜は望月部屋にて宴会……もとい、研究成果報告会。スズダリの名物だというハチミツビールを試飲する。おもわず「紅茶キノコのような味だ」とつぶやいたが、スラ研の若い研究者のみなさんには、通じたかな?

 黄金の門のあたりで、街角の少女が遊んでいた着せ替え絵本を目にしたぼくは、無性にそれが欲しくなった。良識ある大人であるぼくは、彼女からそれをふんだくることもせず、あとでニジニノブゴロドの本屋で、ついにそいつをみつけた次第である。それは『可愛い女の子』という、切りぬいて着せ替え遊びをする紙人形であったが、その妖艶な姿に、ぼくは目が眩んでしまった。ロシアの少女たちは、いずれ長じて、このようなおねえさんに変貌することを目標としているのであろうか? あるいは、大人や国家は、彼女らに、そうなることを託しているのだろうか? 裏表紙に描かれた挑発的な後ろ姿にも、あなどれないものがある。



 男女に差別があってよいのであろうか、いやいけない! というわけで、そのあたりの棚をひっくり返していたら、案の定、同形態の男の子向けと思われる本も置いてあった。こちらは兵器を中心としたメカの塗り絵で、なかなか精密に描かれている。




 そのような『可愛い女の子』の着せ替えで遊び、好ましい方向に、すくすく育ったのであろう、ウラジーミルで入ったレストランのウエイターさん〔左〕と、同じく「アリョーナちゃん」〔下〕。


 翌日は、ウラジーミル市内見学の後、夜にはニジニノブゴロドへ。ツェントラリーヌィ・ホテルはソ連時代の巨大ホテル。前の広場には巨大なレーニン像と、これにつづく労働人民の像がそびえ立つ。ソビエトテイストたっぷりであった。

 着いた翌朝。朝食をとったのち、食堂のバルコニーから夜明けのレーニン像をながめていたら、ウェイトレスのおねえさんが、ドアを開けて外に出してくれた。単純な感想だが、若い人はわりと気が利くし、けっこう親切……? そのまま像の周辺を散策。広場で掃除をする老人と老婆あり。かれらの傍らには、空き瓶がつめられたゴミ袋が四つ、五つもあり、瓶はさらにまだ何本も、そこいらに転がっている。レーニンのお膝元は、どうやら深夜の飲んだくれ労働者のたまり場となっているらしい。

 あれこれ教会を見学して、列車に乗る。プラットホームでは、危険防止の看板に、たいへん心引かれるものあり。このお姉さんは、なにを求めて、こんな姿勢をとるのであろうか〔右〕。女の子を連れた若い父親は、ソ連の正しい労働者といったところ〔下〕。

 翌早朝、カザンに着く。

 タタールスタン共和国の首都カザンの街角では、ロシア語、タタール語が併記されており、タタール語書籍の専門店もあった。この町が一番落ち着いた。市の紋章は、ジランダと呼ばれる、鶏脚、鳥身、蛇鱗の龍であるという。カザンを離れる日に、空港の売店で、このフィギュアを入手〔右〕。そして、忘れていたが、真正のヴォルガ河畔に到達したのも、カザンの郊外であった。






 さて、この日本料理屋の看板は、ぼくでもすぐに読めた。「ヤナギ」である。Яの字に見立てているのは、漢字の「尺」を反転させて、上の口の中に横線を引いた変体キリール文字(?)。いかにも東洋の文字っぽく見えるというわけであろう〔左〕。
 別のところでも、この文字と漢字の「柳」を組み合わせたスシ・バーの看板を見いだした〔下〕。ここでは「バー」のРには、やはり漢字の一部に似せた変体キリール文字を暗躍させている。


 モスクワ最後の日には、街角で、謎の着ぐるみさんを目撃〔左〕。恥ずかしいのか、人目を避けて活動していたように見えた。かれはいったい、なにものなのでしょう? だれか説明して! ちなみにぼくは「テレビくん」的なキャラかと推察しましたが。
 全行程を通じて、美味しいものはいくつも食べたが、いちばん安心して食べられたのは、ペリメニ(水餃子)であったかもしれない。日本料理屋の「餃子」はかえって不味かった。最後の夜の中華はまあまあであった。美味い中国白酒も置いていたのがうれしかった。

 ロシア語が読めないぼくが購入した本は、ほとんどが図録だが、ヴォルガにちなんだレーピンと、美術館で見たシーシキンの画集。あとはプロパガンダポスター集を数冊。中国のポスターは、ソビエトのデザインの模倣が多いのだ。
 古本屋に行ったところで、本は読めないのだが、世界中どこに行っても(それほどは行ってないが)古本屋はいちばん落ち着く空間である。サパーリンなど、50年代に中国でも読まれた昔のSF作家の本が目についた。ガイダール『チムール少年隊』の原書を「青春の思い出」に購入。これまた中国でよく読まれた作品だ。また、50年代中国の刊行物なども、いくつか見つけた。カザンの古書店では、デンマークの漫画家Herluf Bidstrup(1912〜1988)の漫画集を見つけた。これは文字のない漫画なので、寝る前に眺めて楽しんでいた。

 旅も終盤。その夜の飲み会で、井上岳彦さんは、古本屋で購入したという本を、ぼくに進呈してくださった。それは偶然にも、Bidstrupによる50年代中国風俗スケッチ集のロシア語版《По Китаю》(1958)であった〔右〕。道中、それほど親しく会話をしていたわけでもない井上さんだが、ぼくは旅の初日から、かれの写真の撮りっぷりに注目していた。おもしろい物を見つける眼力がある人なんだろうなあと思っていたのだが、案の定、本についてもそうであった。これは、画家が、建国後まもない中華人民共和国の、北京、漢口、広州、杭州、上海、南京、瀋陽などを活写した画集だ。井上さん、ぜひぜひ翻訳をば……。



 ちょっと「えへへ……」と、うれしくなった買い物は、カザンで手に入れた、陶器の宇宙飛行士である。「こすもなうと! こすもなうと!」と売り子のおばちゃんに叫びながら、ひとりでみごとに買えたものである〔左〕。

 スーパーの酒コーナーで見つけ、写真を撮った途端、メン・イン・ブラックそのまんまな警備員たちが駆けつけてきて、えらく怒られた「チオチオ」も、その欠損した「和魂洋才」の文字とともに、なかなかオツなジャポニズムであった〔下〕。

 高橋沙奈美さんの采配で、今回は、やッたら多くの教会を巡ったので、ぼくの半世紀にわたる罪業も、ほぼ浄められたといえよう。
 はじめにも書いたが、同行の、主としてロシアのことを研究している皆さんには、本当にお世話になった。ひとりひとりが、ぼくの保護者であり、良き教師であった。そしてまた、一番こまったのが、かれらから、道々「中国ではどうですか?」とたずねられることであった。ロシアはこうなっているが、中国ではどうか? という流れの質問である。「うーん。ぼくが見た範囲ではですね……」としか言えない。ぼくごときの言うことは、あまり信用しないでね!

おわり   

(Up 2010.04.07)


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